「天気の子」観た。
もう公開から1か月経ち、手垢も付きまくってる頃ではありますが観てきました。
・「少年が変な能力を持った女の子と出会って、その能力を使って色々して、紆余曲折の末離れ離れになって、最終的に再度出会って終わり」という脚本は「君の名は。」と全く同じ構図。あっこれ新海ワールドかぁと妙に納得した。ついでに終わり方にもやっとするところまで同じ。
・おそらく正しい意味で賛否両論のこの映画が「アリか、ナシか」は全編渡って青臭さが受け入れられるかどうかだと思う。
ラストのシーンで世界を取るのが大人なのだとしたら、俺はまだ子供の心も持ってるなと認識できた。
全肯定はしないけど理解はできる。
・作画が超綺麗。特に背景。このクオリティで動くのかぁ…今のアニメすげーな……
……ってこれ「君の名は。」の時も思ったなぁ……
・筆者は大都会S玉県育ち(誇張)なので分からないんですけど、
離島住みのクソガキって高校生くらいになると無計画に家出して東京に来たくなるモンなんですかね?
・不思議能力にツッコミを入れるのは野暮ってモンですが、
「どうして陽菜ちゃんは晴れ女になったのか」、「どうして帆高君は最後神社に行けば陽菜ちゃんに会えると思ったのか」あたりは映画本編中に解答、またはそれを示唆する内容が欲しかったなぁ。
あと水の魚と突然落ちてくる水の塊も謎。メタ要素も含めて考察するなら多分尺足りなくてカットした名残。
・ネットレビューでも再三突っ込まれてる「帆高君が家出した理由」も含め、舞台のバックボーンの描写やストーリーの一部は意図的に省かれてる。
このこと自体の是非はともかく、これの意味するところはおそらく「最後のシーンで陽菜ちゃんを取るという選択に、真っ当な道理や同情の余地を付けない」という目的かと思う。
・意図的か舞台装置としての都合かは分からないんですけど、陽菜ちゃんと凪君以外の主要人物が皆独りよがりな印象があるんですよね…
帆高くんは言わずもがな、須賀さんといい、警察といい、果ては晴れ女の能力を与えた誰かさんといい――
帆高君はこのぐらいの年頃の男とはそういうものだろうワシにも覚えがある(ホセ並感)ということでまあよし、須賀さんと警察は都会(の象徴)としての性格付けということで納得はできるものの、その割には陽菜ちゃんの言動は自己犠牲マインド100%でできており、対比させつつ人間臭さという視点で見るとどうにも違和感が拭えない印象。野暮ですかね。
・つまり上の2つを組み合わせて考えると、ラストの例のシーンは「世界か、一人の女の子かの選択肢を提示され、後者を選ぶ」というエロゲのラスト感全開のシーンである、と解釈できるわけですが、
そうなると「DT感」、「エロゲ臭」というのはむしろ理解した側の感想で、
そんなモンは大衆受けしねえしんなことわかってんだよっていうメッセージまでは読み取れました。
ゆえに「理解はするが共感できない」というのは正しい感想です。だって共感出来たら拾った拳銃そのまま持ち歩いてるやべー奴だから。
今月もクラバトが始まるわけですが
しんどい…
全く詰められてない初日のAM3時にログインし、本戦残3凸残ってるこの気持ち。
最近は敵によっては400万450万が構成さえ良ければ軽いノリで出るので、
とりあえずで200~300万が出せてもそれが妥協ラインを超えてるのか超えてないのか解らないんですよね。
で、結局ネットの力に頼った末、構成コピペマンが一番楽だから結局コピペマンに落ち着いてしまう……